ちょっと文章の路線でも変えようか?と実験音楽でも
やろうか的なノリで書こう、と思いつつ、多分変わら
ねえな、と思いつつなピンキーでございます。
何処か吉井和哉の【蜜色の手紙】っぽい書き出し方に
なったし、タイトルもそれっぽい。
まあいいや。
俺はよく夢を見る。
大概は起きれば忘れ、現実の世界でしなけりゃならない
事などがあって塵になるんだけど、春だから、とか
季節関係なく今年よく寝ている。
そしてまともな夢を見ない。
何で夢って自分の叶えたい事に置き換える言葉になった
んかな?と時々思ってね。
人が居ればはかなくなるし(儚い)。
俺の夢はある種あり得ないセッティングのキャストが
現れる。
そのあり得ないキャストが大概出演して欲しくない方々が
出てくる。
まあ、それはそれでいいとしても、ストーリーが現実世界より
フリーキーでアバンギャルドでノイズで掃溜めな為に
俺が見る夢のイメージは途方もなく【悪夢】となって
脳内HDDが覚えている限り記憶され、何の夢か忘れても
【悪い感触】としてだけは記憶される、そゆ類なんだよ。
そんなのを叶えたい、と思わないのに夢って変だ、と
思ってね。
心は醒めるはサメのように追いかけられるわ、正直寝るという
行為自体がおっくうになるけど、それでも寝る。
なら一生寝てたらいいじゃねえか、と思うのは
自然な考え方だと思うんだけどさ。
そんな【夢】を見るのに、人が居たらもっとややこしくなる。
結局俺の夢とは元々儚い苦痛を伴った事象であって、
人と営みの生活を送った歴史が多いもんで、そんな程度の
夢しか見れないのに人が居るから儚くなるんだ、と
この5年ずっと思っててね。
関係ないがレオパとヤモリは俺が飯を調達してやるから
元気です。